
日本人って特に、自分よりも周りを優先しがち。
本当はやりたいことだって、パートナーや親、友人や会社の人の目を気にしてできなかったり。
本当は食べたいものだって、一緒に食べる人が嫌いだからって選ばないようにしてみたり。
意識していなくても、自分以外を優先してしまっていることってありませんか…?
教育が他者を優先させるようにしている
いろんな選択があるのに、自分の本当は選びたいものを選ばずに来てしまっていることって多いかもしれません。
もしくは、本当は選択肢があるのに、考えなくてもこっちでしょ、みたいな「当たり前」になっていることとか。。
「大学に行って当たり前」とか、「大企業に入ることが成功」みたいな話…。
どんな進路だってその人にとっては成功かもしれないのに、社会的に格付けされちゃう感じ。
それは、育った環境がそうなるようにしてしまっているから仕方のないことかもしれません。
日本の教育は減点方式で、満点が前提で始まっている。
そしてすべての科目を平均的に上げていこうとする傾向にある。
小学校のうちからそんなことを求められているから、それが根付いてしまう。
嫌いな科目も本当はやりたくないのに頑張って勉強しなさいと言われて育てられるから、嫌いなことも頑張ってやらなきゃいけなくなる。
「和」の意識が良くも悪くも影響して、自分の意見よりもみんなの目を尊重するようになる。。
「空気を読む」ってことなのかもしれないけれど、そんなことをしているうちに、本当に自分がしたいこととか望むことがだんだんと見えなくなってくる。。
本音に従うことがだんだん難しくなってくる。
子供から学ぶ
幼児を見ていると、そういう刷り込まれた「当たり前」がないから学ぶことも多いです。
常に自分が主役で王様で、自分の思い通りにならないと泣き喚いたり、他の人の気を引こうとしたり…。
いわゆるワガママ…!
だけど、時にはこのワガママって必要なのかもしれません。
自分の本音を押し殺していると、いろんなところにしわ寄せがきてしまったり。
人間関係だったり、パートナーシップだったり。。
自分の機嫌を取るには、自分の本音を引き出すこと。
本音を無視し続けていると、誰かに当たってしまったりすることもあるんです。。
「人生は選択の連続」
人間関係がうまく築けなかったり、パートナーシップでうまくいかなかったりしたら、相手に対して何かをアプローチする前に、自分の本音に従うことが先。
それにはまず、自分が無意識に選んでいる理由を見直してみることが大切だと思うんです。
朝、食べたものはなんでしょうか。
なぜそれを食べたのでしょうか。
家にそれしかなかったから?
着替えるときに選んだ服は?
なぜ今着ている服を選んだのでしょうか?
楽だから?
一番手前にあったから?
例えばランチに行った時、メニューから選ぶ時に何を基準にして選んでいますか?
一番安いもの?
栄養価の高そうなもの?
原価率が一番高そうなもの?
効率的な視点だったり、金銭的な理由だったり、そういう物理的な理由で選んでしまっていることって意外と多いかもしれません。
「人生は選択の連続」って言葉があります。
理数系か文系か、〇〇大学か□□大学か、A社かB社か…という大きな選択だけではなく、もっともっと小さな選択の積み重ね。
日々、小さな選択を積み重ねていることで人生ができているのです。
だからこそ、選択って大事なんだと思います。
この選択をするときに、「ぶっちゃけ自分はどうしたいか?」と問うてみる。
この「ぶっちゃけ」に、自分の本音が出てくる。
自分の望みを叶えてあげよう
だから、毎日着る服も、「今日はこの服が着たい!」と思ったものを選ぶ。
ご飯を食べる時も、「今はこれが食べたい!」と思ったものを食べる。
「あ〜、なんかキャラメルマキアートが無性に飲みたい」と思ったら、買いに行く。
「こってりラーメンが食べたい気分」と思ったら食べる。
「今日はもう寝たい」と思ったら、シンクに洗い物が溜まってても寝ちゃってみたり。
そうやって、自分の小さな望みを叶えてあげる。
そうすると、少しずつ、望みが大きくなっても叶えられるようになっていく。
自分の本音に従うことって、自分の夢を叶えることに繋がるんだな〜とふと思ったのでした。